『平成15年度 鹿児島県考古学会 発表要旨』鹿児島県考古学会 2003.07.20
串良町岡崎古墳群の調査
鹿児島大学総合研究博物館 橋本達也
1.発掘調査に至る目的と経緯
鹿児島県肝属郡串良町岡崎に所在する岡崎古墳群ではこれまで4号墳、1号地下式横穴墓、15号墳で本格的な調査が行われており、古墳時代中期を中心とする古墳群であることが確認されている。
古墳築造南限域である大隅半島肝属平野地域では古墳時代中期に唐仁古墳群や横瀬古墳などの大型前方後円墳を築く盟主的な古墳が他に存在することから、岡崎古墳群の研究がこの地域の古墳時代中期社会を構造的に考察する上できわめて重要な位置づけをもつことは推察できる。
また、岡崎4号墳は1号地下式横穴墓を周溝に随伴させており、地下式横穴墓と古墳との関係や地域での古墳築造の意義などの検討において重要な位置づけを担う。岡崎古墳群は古墳の本質的な意義を考える絶好のフィールドである。 平成14〜16年度まで文部科学省 科学研究費補助金において橋本の南九州の古墳時代研究プロジェクトが採択された。そこでその重要性を鑑み、岡崎古墳群での発掘調査へ向けて動き出した。
2.遺跡の概要
立地 岡崎古墳群は現状で20基ほどの古墳からなる。肝属平野の西を区画するシラス台地上の縁辺部に形成され、直下の平野部との比高差は22m以上ある。本古墳群からは肝属平野の大部分が見渡せ、唐仁古墳群までも直線距離で約3.5kmで、その位置を確認することができる。
古墳群の構造 岡崎古墳群は分布と形態から大きく3つのグループから成る。
第1グループは古墳群中の北側に広がるもので、台地やや内側にあり円墳と地下式横穴墓が同時に存在する群である。3つのうちではもっとも範囲が広く古墳数も多い。
第2グループは古墳群中央部にある10〜14号墳である。現状で直径約5.4〜7.0m、高0.8〜1.6m程の小規模墳が東西方向に隣接して並ぶ、密集型の古墳群である。墳裾が隣接しており、地下式横穴墓なども構築されていないと考えられる。
第3グループは台地の縁辺部でやや広めの空間をもって並ぶ15・18・20号墳を中心とする群である。規模と内容からこの3基が岡崎古墳群中のもっとも中心的なグループであるとみられる。
3.岡崎18号墳
第1次調査:2002年8月28日〜9月18日: 墳丘測量図の作成後、墳形・規模の確認、さらに埋葬施設、外表施設の確認を主たる目的としてトレンチ調査を開始した。
その結果、古墳は墳丘長20m程度の円墳である可能性が考えられた。さらに古墳の東側では初期須恵器や土師器などの土器が出土しはじめ、墳丘東側調査区周辺に祭祀空間の存在することが判明した。墳丘は葺石・埴輪などの外表施設をもたず、土の流失もあって段築も認められなかった。また墳頂部では慎重に掘り下げを行ったが、埋葬施設に関する情報を得ることはできなかった。
第2次調査:2003年2月4日〜2月25日: 第1次調査の成果を受け、墳丘東側裾部分での祭祀空間の確認を第1の目的とした。さらに、埋葬施設の確認を目的とした調査区を設定した。
墳丘東調査区では表土下から全面的に古代〜中世の遺物が出土し、これらの下層から古墳にともなう土器群が全面から出土した。須恵器は大甕・樽形ハソウ・ハソウの3器種がいずれも良好な状態で出土し、土師器では高杯を中心に壺などが小片になり散乱した状態で広範囲から出土した。土器は祭祀の終了にともなって故意に破砕されているとみられる。
墳頂部では弥生時代中期後半の土器は出土したが、埋葬施設に関わるものは検出されなかった。
小結 墳丘長は東西南北ともに20mを測る。また墳丘外周は2.8mほどの周溝状の掘りくぼみがある。ただし外側は明瞭な高さをもたない。埋葬施設は確認できなかった。墳丘の土がかなり流失しているとみられ、埋葬施設もすでに流失したと考える。
墳丘東裾部分では土器を用いた祭祀空間をきわめて良好な状態で確認した。土器は初期須恵器と土師器高杯を中心に、土師器壺・成川式土器壺も共伴している。須恵器は最古段階の一群で、TK73型式に位置づけられる。これらの資料は今後この地域における土器編年において重要な資料となるばかりではなく、古墳時代中期の政治構造や交流の諸相などさまざまな分析において重要な位置づけを担うと考える。古墳築造南限の肝属平野の古墳とそれを取り巻く文物のあり方は、古墳時代社会の構造を読みとる上できわめて重要である。
なお、岡崎18号墳は墳丘形態・構造の確認を補足する必要があり、また東トレンチ内で2箇所、地下式横穴墓の可能性のある土層が確認された。これらの調査を2003年8〜9月の間において行う。
4.岡崎20号墳
20号墳はこれまで名称がなかったが、18号墳の調査にあわせて伐開作業を行い、新たに前方後円墳と考えられた古墳である。岡崎古墳群中もっとも平野から見て目立つ台地先端部にある。40m級の前方後円墳になる可能性が高い。2003年4月末〜5月初頭にかけて測量調査を実施した。前方部側の形状は大きな改変と流失があり、判然とはしないが、連続する2つのマウンドは前方後円墳であることを示すものと考える。20号墳は新規発見の前方後円墳として、その位置づけは重要であるため2004年2月には調査を行いたいと考えている。
5.岡崎15号墳
町教委の調査で箱式石棺から甲冑や勾玉などが出土しているが、墳丘は8.5mの円墳とみられていた。しかし新たに古墳南側の伐開作業を行ったところ、南東側に延びる低平な前方部とみられるマウンド状部を確認した。30m程度の前方後円墳になる可能性が高いと考えている。甲冑副葬などの意義をあらためて問い直す必要があると考える。